今月のことば (2011年6月)
今年も、家の車庫に燕がやって来ました。3年目です。
毎年、巣を作るので昨年の巣をそのままにしていたら、今年も別の場所に
巣を作りました。現在、卵があるらしく一生懸命に親鳥が卵を温めています。
最初の1年目に燕がやって来て、巣を作るとフンは落とすし、巣のかすを
ポロポロ落とすので、車の車庫はゴミだらけになってしまいます。
嫌だなと思いました。
しかし、毎日観察してみると、これは人間にもあてはまる事なのかなと思う
時があります。家を建て、家族を作り、そして子供たちは巣立っていく。
そして、また家に戻って来る。
現在、私たち人間の帰る場所とはあるのでしょうか。当たり前に生き、
当たり前にご飯を食べ、当たり前に寝る。これは、昔から変わらないことですが、
昔と今とで違うのは、自分を中心に生きる「我」を張った人生を送っていることなのでは
ないでしょうか。
また、親鸞聖人は「ご和讃」より
かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ
天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀をつとめとす
と嘆(なげ)かれています。
つまり、自分中心に生き、順調な時は思いあがり、苦しくなると迷信へと走って正しい道が
見えなくなっている人達が多くなっていることです。
お念仏のみ教えは、命の教えなのです。あなたはその大切な命をどう生きているのかと
問われているのです。濁(にご)っていませんか。
親鸞聖人の教えには、所々に帰命という言葉が使われています。
お念仏のみ教えを第2人称、第3人称の他人ごと、死者の為、また単なる呪文のように聞くのではなく、
お経さまに「如是我聞・・・聞仏所説歓喜信受作礼而去」とあるように、私○○が聞き、私の人生の鏡
となり、私達の帰る場所になるように聴聞していきたいものです。
(担当/部門員 光妙寺・僧侶)
- 2011.06.01 Wednesday
- 今月のことば
- 12:00
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- by nishikahoso